サラリーマンから法人化までの道のり ~まずはアルバイトから~
先日、新しく個人事業主として開業届を出した方とお話する機会があり、末席にもほどがありますが、起業家の端くれとして一応10年以上の会社経営実績があるため、サラリーマンから起業した経緯や個人事業主から法人化した経緯などについて、つらつらとお話させて頂きました。
対面でのお話は気軽にリズムよく話を進められるという良さがある反面、体系的に話すのは慣れている方でないとなかなか難しいものです。かくいうぼくもプレゼンテーションを要するお仕事から離れて久しいため、きちんと大事なところを伝えられたか不安があります。
加齢もあってだんだんと記憶力も怪しくなって参りましたので、誰得記事とは思いますが、法人化までの道のりを差し障りのない範囲で備忘録として残していこうと思います。
中卒でもIT業界に入れた経緯
ぼくの場合、17歳の頃に高校を中退して、プログラマー向けのパッケージソフトを開発している会社(いわゆるソフトハウス)にアルバイトとして入りました。
こうして書くと単純ですが、当時は就職氷河期と呼ばれる時代でバブル崩壊の煽りを受けて新規の求人枠を縮小する企業が多い時代でした。そんな経済状況の中、中卒でアルバイト経験すらない小僧がソフトウェア開発企業に入るのはアルバイトでもなかなか難しい状況です。
実際、社員数20名もいるかどうかの小さな小さなソフトハウスでしたが、1名の募集枠に応募者数は30名を超えていたと言います。
最初から30倍以上の競争率があると知っていたら応募することすら諦めていたかも知れませんが、幸いなことに何も知らないぼくは人生始めての面接に緊張しつつも向かうことができました。
ただ、自分の親も小さな有限会社を経営していたものですから、そうした零細企業が決して熱意だけでは採用に至らないことも理解していましたので、フロッピーディスクに作品を入れて持ち込みました。
正直、今考えると恥ずかしくて悶絶してしまうような拙い出来のプログラム※ばかりでしたがw
それらひとつひとつを起動して見てくださり、ここはどうやって作ったのか、この部分は苦労しなかったか、など詳しく確認してくれたのは嬉しかったなぁ…。
当時はまだインターネットも普及していなかった時代ですが、ぼく自身はパソコン通信で草の根BBSと呼ばれるシステムへモデムで接続し、自分で作った作品を公開して反応ももらっていたため、多少の自信はありましたが、本物のプロに見てもらうのは初めてだったため、それはもう緊張しました。
面接での反応は上々に感じましたが、なにぶんはじめてのことなので実際どうなのかはわかりません。
面接結果は追って連絡、ということで帰宅しましたが、その後たいして時間を置かずに採用の電話をもらったときには飛び上がるほど嬉しかったですね。
しかし、配属されたのは自社ソフトのサポート係。持ち込んだプログラム類は一定の評価はされましたが、プログラマーとして即戦力に出来るほどとは判断されなかったようです。
まずはサポート係で自社製品のことをしっかり学んでください、というスタイル。
少し残念には感じましたし、サポート係の仕事は激務で、大抵がトラブルで怒っているお客様ばかりなので、大変なストレスを抱えましたが、はじめて給料をもらえる仕事でしたし、当時のぼくにとって時給1,000円というのは破格な高待遇だったため、はりきりました。
サポート時間が終了する17:00まではひっきりなしに電話対応をし、その後はFAXで連絡できるお客様への対応、そして製品パッケージの組み立てやラベル貼り、卸業者への出荷作業などなど。
ソフトウェアのパッケージって意外と手作りなんだなぁ…とか、卸業者といってもほんの数本ずつしか買い取ってくれないんだなぁ…なんてことを思いながら、自らの手で秋葉原のLAOXコンピューター館に並ぶパッケージを作っていることに興奮もしましたし、休日にはわざわざ秋葉原まで出かけて、自分が出荷したパッケージが棚に並んでいる姿をニマニマと眺めたりもしました。
そうして毎晩遅くまで働いていたある日、突然社長から正社員にならないか、と提案されました。
アルバイトとして入ってわずか1ヶ月後のことです。
正社員になって気がついたこと
たしか、月給17万円(手取りで15万円くらい)を提案されたと思いますが、あれ、けっこう安いんだなと感じたのを覚えています。アルバイトで時給1,000円でも160時間働けば16万ですからね。
実家暮らしのため、家に5万円ほどお金は入れていましたが、それでも月に10万円も使えれば十分と、17歳の少年には思えました。
それに、社会保険や雇用保険への加入が云々と説明され、その意味はよくわからなかったけれど総合的にはお得なのだろう、と。更にはアルバイトだといつまで雇えるかわからない、というある意味脅しっぽい文句※にビビったことw そんなこんなで社長からのオファーを承諾し、無事正社員となりました。
それから半年。月日はあっというまに経つもので、ソフトハウスへ通うのにも仕事にも慣れてきましたが、仕事内容が最初の頃とほとんど変わっていないことに不満が募りました。
※おじさんにとっての半年と17歳の少年にとっての半年は体感する長さが違うのです。
サポート業務を悪く言うつもりは全くありませんが、自社製品のサポート業務となるとその製品には詳しくなりますが、その先がありません。
ステップアップをしようと先輩プログラマーに教えを請おうにもサポート時間が終了した夜以降となってしまいます。
ましてや、零細企業ですからプログラマーのみなさんも忙しいし、先生としての勉強をしているわけでもありませんから、ぶっちゃけ教えるのも下手です。
そこでぼくはようやく気が付きました。会社というのは技術を学ぶ場ではないのだと。
仕事をしながらプログラムについても学べるだろう、という学生っぽい甘い考えがあったことに気が付きました。
そんなことが出来るのは一部の大企業だけで、中小零細企業なんて日々の業務で手一杯なわけです。
せっかく採用してもらったのに…という申し訳ない思いはありましたが、正社員になってから半年と少し、退職届を出しました。
もちろん、不満があるなら聞くよ、プログラマーとして働きたいなら配属を変えても良い、そんな引き止めを頂きましたが、現場を見ているぼくにはそれが決して出来ないことだろうとわかっていました。
ですので、カドが立たないよう、「どうしても実家の仕事を手伝わないといけなくなりました。本当に申し訳ございません。」と謝りつつ、退職届を受理して頂きました。
そして半年間の無職へ
17歳で高校を中退してソフトハウスへアルバイトとして入り、正社員にも採用されて半年働いた後に、また無職となりました。
我ながらひどい職歴のスタートですw
そしてこの無職の期間に無謀にも起業にチャレンジするのですが、長くなりましたので続きはまた次回。