サラリーマンから法人化までの道のり ~無職はパソコン通信にハマる~

前回の記事「サラリーマンから法人化までの道のり ~まずはアルバイトから~」の続きですが、続きと言いつつ時間は少し遡って高校中退直後の話。

高校中退直後、パソコン通信にハマる

高校中退してからの半年ほどは実家の洋服店を手伝いながら(といっても店番したり、パソコンで請求書を作ったりする程度)毎晩パソコン通信にハマっていました。

インターネットのない時代ですから、電話回線を使って特定のBBS(掲示板システム)へ接続するのですが、そこは最大16人まで同時接続できるBBSだったため、毎晩いろんな人と出会い、様々な会話をすることが出来ました。

そう、BBSと言いつつチャット機能も備えていたため、リアルタイムでメッセージのやりとりが出来たんですね。いまやスマホがあればそんなこと簡単に出来ますが、30年近く前の1990年代のことです。自分のパソコンに勝手に会話が流れていくのを眺めるだけでも大興奮ですよ。

最初はゆっくりとした文字入力しか出来なかったのに、もっと話したい!という欲求からどんどんと文字の入力速度が上がりましたし、こんなマニアックな交流をするのは技術系の人たちが多かったため、たくさんのプログラマーと知り合うことが出来ました。

しかも皆電話回線で接続してきているわけですから、遠くに住んでいるということはまずありません。都内のBBSですから、接続してきている人たちも全員都内在住。

そうして会話が弾んでくると、明日ちょっと秋葉原まで行くんだけど一緒にどお?みたいな流れに自然となります。今では考えられない気軽さですが、それがおかしなこととは思いませんでしたし、実際何十人もの人とお会いしましたが、変な事件に巻き込まれるようなこともなく、大抵は年上の方々だったので、本当に色々とよくして頂きました。

プログラマーズサロンのサブオペになる

中学~高校時代はポケコンにハマり、BASICでゲームを作っていたくらいですから、プログラミングにとても興味がありました。

パソコン通信の中でもプログラマー向けの掲示板によく出入りしていたため、そこの管理者の方と仲良くなるのもあっというまのこと。すぐにサブオペレーター(副管理者)として勧誘されます。

おかしな書き込みがあったら削除する程度の権限ですが、サブオペ専用のIDなんてもらったりして、なんだか誇らしい気持ちになったのをよく覚えていますw

せっかくサブオペになったのだから掲示板を盛り上げていこう!と自分でも積極的にプログラムを作ってどんどん公開するようになりました。公開すると掲示板利用者から反応がありましたし、バグがあったら報告もしてもらえました。自分でも驚くほどのペースで技術力が上がっていった瞬間だと思います。

そしてこれが前回の記事で役に立った「面接時に持ち込んだプログラム群」の走りになったわけですが、その当時はまだそんなこと考えもしませんでした。ただ、ただ、作るのが楽しかった。

無謀にも起業を志す

なんでそうなるんだって話ですが、毎晩のようにプログラマーの人たちと話しをしているとしょっちゅう「会社辞めたった!明日からプータローだわ」なんて話題が流れてくるのですw

技術力はあるのに残業残業で使い潰されて、このままでは体がおかしくなってしまう、と自ら撤退するわけですね。当時はまだブラック企業なんて言葉はありませんでしたが、まさにソレ。

すると、仲の良いプログラマーの人たちが数人同時に無職になっていたりするのです。ぼくは店の手伝いをしているとはいっても顔を出したり出さなかったりのプータロー同然の生活。

時間もたっぷりあるので、じゃあちょっと会おうかーなんてプログラマーの人たちとお会いして今のソフトウェア業界はあーだこーだなんて話を聞くわけです。ぼくは当時まだ17歳、まわりのプログラマーは26~28歳くらいの人たちが多かったかな。

じゃあさ、こんなソフトを作ったら売れないかな?とか、あのソフトはここが足りないから、それを補うソフトを発売したらバカ売れだろ!みたいに盛り上がるわけですよ。なんだかんだみんな若いですしやる気に満ち溢れてるし。

そうして、俺たちが組めば最強じゃないか、といった雰囲気になるのですw

当時集まったのはぼくも含めて4人くらいだったかな?

そしてはじまる前に終了する

ただ妄想を語り合って盛り上がっただけではないんですよ。ちゃんとそれぞれの分担を決めましたし、理想とするソフトウェアの開発にも着手していました。でも、完成する前に1人、また1人と「ごめん、やっぱマジメに職探すわ」と酔いから覚めたように離れていきました。

そりゃそーなんですよ。

今考えても(ぼく以外は)実力的には申し分ないメンバーでしたが、ソフトって作って終わりじゃないです。どこで売るんだ、どうやって知名度を上げるんだって話です。

そういうところが誰もわかっていなかった。

今の時代ならそんな状況でもGoogle先生が何でも教えてくれます。

「起業 手続き」「ソフトウェア 販路」などと検索すれば最低限の知識はすぐに手に入ります。ソフトウェアの販売委託先だってなんぼでも見つかります。

でも当時はそうじゃなかった。

自分たちがどれだけ良いソフトを作っても公開できるのはせいぜい16人が同時アクセスできるBBSくらい。

Niftyなどの大手BBSでシェアウェアとして公開する道筋などもありましたが、それでもずっと食っていけるほど売れるとはちょっと思えなかったわけです。ましてやLAOXコンピューター館に並べてもらえるパッケージを作る方法なんて想像もつきません。

ぼくとしては実家暮らしで生活は何とかなるという甘えがありましたから、それでもチャレンジしてみたかったのですが、実際にプログラムを作れる人たちが離脱してしまうとぼくには何も残りません。

プログラマーズサロンのサブオペをしていて自作プログラムも公開しているといっても、お金が取れるレベルのソフトを作ったことはないのです。

そしてアルバイターへ

そうして、自然とぼくも実務経験を持たなきゃいかんなと考え、アルバイト情報誌を開いて求人広告を探すことにしました。

その求人広告で見つけたのが、前回の記事で書いたソフトハウスなのです。

前回の記事:サラリーマンから法人化までの道のり ~まずはアルバイトから~

続き

サラリーマンから法人化までの道のり ~人生初の事業収入~

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