サラリーマンから法人化までの道のり ~情報処理技術者試験への挑戦~
高校中退してから法人化までの道のりをつらつらと語る誰得記事の第4弾。
サラリーマンから法人化までの道のり ~人生初の事業収入~の続きです。
学生のうちから夢見がちでふわっとした気持ちで起業を志す人に向けて、おいちょっとまて、現実はもうちょっと厳しいぞ、あるいはこんな苦労をする必要はないぞ、というのを伝える役には立つ…………………かなぁ。
前回までのあらすじ
1990年代のこと、高校を中退したぼくは実家の家業をそこはかとなく手伝いながらパソコン通信にどっぷりハマり、そこで知り合った凄腕のプログラマーたちと意気投合し、起業するか!などと無謀な計画を立てるものの、はじまりもせずに計画は頓挫。
マジメに実務経験を積もうと考えを改め、パソコン通信で公開していたプログラムを作品として面接へ持参して無事採用。トントン拍子で正社員になるものの、あまりにも多忙で技術を学べる時間がないと考え、半年で退職を決意。
またもや無職になったぼくは実家のお店にあるパソコンでプログラミングをしている最中にたまたま来店していた税理士さんに声をかけられ人生初となる個人事業収入を得ることに。
しかし、いくら技術力があっても仕事にはならない。かといって学歴もないから就職も不安。なら、国家試験でも受けてみるか、と情報処理技術者試験の勉強をはじめることにした。
情報処理技術者試験を知ったきっかけ
時は1990年代、就職氷河期真っ只中。アルバイト情報誌はぺらぺらで薄く、求人自体が少ない状況。
そして応募条件は大卒、短大卒、もしくは実務経験3年以上の文字ばかり。
中卒で実務経験もサポート係としての半年しかない18歳の小僧には門前払いの文言。
そんな中、「情報処理技術者、尚可」や「情報処理技術者、資格手当アリ」といった特記事項に目が止まりました。
ほほう、そんな資格があるのか、と。
さっそく本屋に走ります。何度も同じことを繰り返してアレですが、インターネットのない時代です。パソコン通信もユーザー同士の交流には良いですが、情報収集手段としてはお粗末なもの。
そんな時代ですから、なにか困ったら本屋へGOです。幸い、神田神保町まで1時間もかからずに行ける距離に住んでいたため、それこそ毎日………はさすがに大袈裟か……毎週のように通っていました。
東京以外の方には馴染みがないかもですが、神田、神保町といえば世界最大級の本の街なのです。
あまりにも専門的すぎて誰が買うんだよレベルの専門書が山のように置いてあり、ぼくの目には宝の山に映っていました。飛躍的に技術力を伸ばすきっかけになったPC-98とPC/AT互換機のBIOS専門書も神保町の書泉グランデで買いました。
しかし一冊で数千円もする本ばかりですから、ソフトハウス勤務時代に貯めた貯金などあっというまに消えてしまったんですよね。アラフォーになった現在のぼくですら、こんなに本にお金使わないw
店番のバイト代と称して親からお小遣いをせびり、そのお金で本を買いに行く日々。まぁ、遊び歩いていたわけではないのでまだマシなのでしょうけれど、自慢できる話ではありません。
ともかく、神保町に走って買ったのは第二種情報処理技術者試験(※現在は基本情報技術者試験と呼ぶ)の参考書と、過去問題集
厳密には過去の問題を公開してはいけないルールがあるようなので、過去の問題に似せて作った問題集です。
情報処理試験の内容を読んで途方に暮れる
少々記憶が曖昧ですが、試験日までわずか3ヶ月くらいしかなかったと記憶しています。
当初は情報処理試験に関する参考書をひととおり読み込んでから過去の問題集で力試し、という腹づもりだったのですが、開始早々に諦めます。
いくらプログラミングが出来るとはいえ、しょせんは独学。得意分野は突き抜けて得意ではあるけれど、実際にシステム開発の現場で使われるウォーターフォールモデルやプロトタイプモデルなんて言葉自体はじめて聞くようなレベルです。
実務における解決策としてのパソコン活用の話なども出てきますから、実際の会社の経理の現場で何が問題となっているのか、知りもしない小僧にはチンプンカンプンな設問も多くあるのです。
これはマズイ。とても数ヶ月でマスターできるレベルではないと感じました。
「合格率15%とはいえ専門学校生が記念受験みたいなノリで受けるから合格率が低いんだよー」なんて知り合いのプログラマーからは聞いていましたが、いやいや、よく考えたらぼくはその専門学校生よりもレベルが低いじゃないか…。
ひたすら過去問題集をこなす日々
そこで、早々にアプローチの順番を変更し、過去問題集から片付けることに。
というのも、第二種情報処理試験の午前問題はマークシート式で、選択するだけなので、ぶっちゃけテキトーに選んでも4分の1の確率。
そこでよくわからない問題でも、とりあえず回答だけは出来るため、疑問に思う都度に解決するのではなく、いったん全問回答する道を選びます。
第二種情報処理試験は午前2時間30分のマークシート式、午後2時間30分の記述式の合計5時間もやる頭のおかしい試験なのです。
そして午前問題は80問。選択式で80問と聞くと大したことのないように思えたのですが、2時間30分で80問ということは1問にかけられる時間はわずか112秒。1分と52秒程度です。
このことに気がついたぼくはストップウォッチ片手に図書館通いをすることにしました。
店番の片手間になんかとても出来ないし、家にいたら電話が鳴ったりテレビを付けたりしてしまうかも知れない。とにかく2時間30分を一心不乱に完走できる環境が必要でした。
図書館に行くとか言いつつ(店の手伝いもせず)遊びまわってんじゃないの、と親に疑いの目をかけられるほど、毎日通っていましたが、別に親に何と思われようとどうでも良かったので気にしませんでした。
最初は本当にひどいもので、正解率は30%を切っていたと思います。
4択の選択式でサイコロ転がしたって25%は正解するはずなのに30%って…。なんだこれ…。
ものすごく凹みましたが、そこはまだ10代の脳みそのおかげでしょうか、毎日80問を2セット5時間、それぞれのセットごとに間違えた問題の勉強を2時間ちょい。そんなことを繰り返していると1ヶ月で50%を超え、2ヶ月で70%を超えてきました。
第二種情報処理試験の合格ラインは公開されていませんが、各方面で調査がされており、およそ60~70%ではないかと言われていました。
ほぼ毎日図書館通いをしていたとはいえ、わずか2ヶ月でボーダーライン近辺まできた自分を褒めてあげたい気持ちでしたが、まだ油断はできません。
しょせん過去問題集なので、1冊では10年分の計800問くらいしかなく、もっと出題傾向が変わったら危ないと思ったのです。そこで、今となっては何冊買ったのか忘れましたが、少なくとも3冊以上は過去問題集を書い直し、2400問くらいの過去問題を全部正解できるくらいまで追い詰めていきました。
ちなみに午後の試験対策を全くしなかったのはかなり自信があったからです。
午後問題はプログラミング言語を選択してコーディングの穴埋めをするのですが、何本もの完成品を作っているぼくからするとどれも大したコーディングには見えませんでした。
それでも一応、1~2回は通しで過去問をこなしましたが、午後に関しては何ら心配する必要がないと思えました。
そして試験当日~あっけなく合格
やった内容からすると、とてもあっけないとは言えないし、今のぼくからするとこんなに情熱的に資格試験へ向き合うなんて絶対に不可能と断言しちゃうレベルですが、当時の自分としてはあっけない印象でした。
たぶん、一番たいへんだったのは当日朝早くに起きることw
午前の試験が9:30~12:00なので、9:00には会場入りしないといけなかったし、はじめて行く大学(地域によって異なるが大学が試験会場なことが多い)までの道順が不安なので、迷子になっても大丈夫なように更に早め早めに出ました。なにしろGoogleマップなんて存在しない時代だから。
午前中の試験についてはたぶん2時間もかからなかったと思います。何度も過去問を繰り返し解いたおかげで問題文を読む速度も上がっていましたし、30分はじっくりと見直す時間があったように記憶しています。
午後は得意分野ばかりでしたが、記述式というのに慣れず、時間はワリとギリギリだったかなぁ…。
ともあれ、試験が終わり、開放感を堪能していると「試験回答、無料配布してまーす!」なんて声が。
えぇ…なんのこっちゃ。今終わったばかりの試験の回答を配布?なんで?
ものすごい疑問でしたがチラシ配りのように配っているので受け取って見てみます。
たしかに今終わったばかりの試験の回答…。
そのチラシの下まで読んで意味がわかりましたが、資格の学校のチラシでした。
要は答え合わせしてダメだったら、うちに入学して勉強しようね!ってことですw
いやぁウマイこと考えるよねえ。
不合格になってる気はさらさらないので、そのまま回答を見ながら脳内答え合わせ。
一部ケアレスミスはあったものの、まず間違いなく8割は超えていたため、一安心して帰宅しました。
アルバイト情報誌とにらめっこの日々
試験が終わってから正式な合格発表までは1~2ヶ月の期間があったと思います。
その間にアルバイト情報誌をチェックして、合格証書と共に面接に行く算段をしていました。
ただ…………探せど探せど、「資格手当あり」の会社は「応募資格:大卒/短大卒」ばかり…。
そして学歴不問で資格手当ありなんてところは見当たらず…。
あ、あれぇ… ぼくこの試験受けた意味あったのかな…?と疑問に思い始めます。
そして数ヶ月後、情報処理試験の合格証書を握りしめつつ、目星をつけた2社へ面接へ行くことにしました。
ひとつはゲームの開発会社、もうひとつは業務システムの開発会社です。
つづく。