IT系おじさんのチラシの裏
2018年10月~
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サラリーマンから法人化までの道のり ~ゲーム開発会社と寝袋~

高校中退してから法人化までの道のりをつらつらと語る誰得記事の第5弾。

元々は、新しく開業された方とお話した際に思い出したことを備忘録として残そうと書き始めた記事ですが途中からこっぱずかしくなって放置しておりました…。実に2年半!

あの記事の続きはまだですか、いつまでも待っています、などと知り合いから言われたセリフは、さすがにジョークだろうと受け流していたのですが、3回ほど繰り返されると、あれ…もしかして本気なのかな…と。ちょっぴり気になったので、また忘れてしまう前に少し更新しておきます。

前回までのあらすじ

時は1990年代、高校を中退したぼくは家業を手伝いながらもパソコン通信にどっぷりハマり、そこで知り合ったプログラマーたちと意気投合し、起業するか!などと無謀な計画を立てるものの、はじまりもせずに計画は頓挫。

実務経験を積もうと考え、パソコン通信でフリーソフトとして公開していた作品を面接へ持参して無事採用。トントン拍子で正社員になるものの、あまりにも多忙で技術を学べる時間がないと考え、半年で退職。

家業を手伝いながら独学でプログラミングをしていたとき、たまたまお店にきた税理士さんから仕事をもらい、人生初となる個人事業収入を得る。しかしこのままフリーランスとして独立するのはさすがに無謀と考え、情報処理技術者試験を受けることに。

そして3か月間の猛勉強の末、無事試験に合格。資格を引っ提げて面接へ向かうことになるが…

ゲーマーとゲームプログラマー

小学生の頃、担任の先生から将来の夢を尋ねられた際、

ゲーマーになりたい

と答えたのをよく覚えています。

先生はキョトンとした顔をした後、「ええと、それはどんなお仕事なのかな? ゲームをする人…?と尋ねられました。

ぼくは先生にドヤ顔で「違うよ!ゲームを作る人だよ!」などと話していたのですが、今思い出しても顔が真っ赤になります。プレイヤーとクリエイターの区別も付いていない子供でした。

きっと先生は高橋名人のようなファミコン名人を思い浮かべたのかも知れません。いまどきならゲーム実況のYouTuberというわりかし現実的な路線もありえますが、当時はまだインターネットすら普及していない時代です。漠然とゲームに関わる仕事がしたいなぁ~と考えていたぼくは何となくそれっぽい言葉を選び「ゲーマーになりたい」と言っただけなのでした。

ちなみにそれから30数年経った今、実際に毎日毎日ゲームしながら生活しているおじさんになっているので、あの頃間違えて口に出した夢は本当に叶ってしまったのかも知れません。言霊ってこわい。

ワイヤーフレームダンジョン

人生2度目の面接はゲームソフトの開発会社でした。

前振りしといてナンですが狙っていたわけではありません。求人情報誌でプログラマー関連の仕事を探したわけですが、どれも短大卒/大卒が条件で、たまに学歴不問があっても業歴3年以上が条件となっていました。年齢がまだ18歳だったというのも求職のハードルを上げます。そしてやっと見つけた学歴不問・初心者歓迎がゲーム開発会社だったのです。

前職の面接で「作品を持参したのは君だけだったよ」と喜ばれたことに味を占めたぼくは今回もフロッピーディスクに自作のフリーソフトを詰め込んで面接に臨みました。その数なんと24本。
(当時のファイルがHDDに残っていたので数を確認しました)

ほとんどは簡単なファイル/ディレクトリ操作を行うツール類で大きめのソフトは数本程度。自信作は通信ソフトのログを解析して今月までの電話代の集計と来月以降の予測を立てるユーティリティでダウンロード数もフィードバックもそれなりにあったソフトですが、前回も今回もいまいち興味を持たれませんでした。

ちなみに1年前の面接で注目されたのは住所録ソフト。データベースの概念がわかるという点が評価されたようです。そして今回の面接ではある意味予想どおりでしたが、こちらのゲーム(?)が注目されました。

ワイヤーフレームのダンジョン

ワイヤーフレームのダンジョン……………を歩くだけのゲーム。……………実際はクリア条件も何もないのでゲームですらないのですが…。

ぼくの師匠がウィザードリィー好きだったこともあり、師匠がゲームをプレイする姿を見て、これなら自分にも作れそう、と思って作ったのがこのワイヤーフレーム迷路でした。言語はC言語。

マップデータはこんな感じのテキストファイルで持っていました。

マップデータはテキスト形式

小さなネットワークとはいえ、パソコン通信のサーバー上で公開して見知らぬ誰かに使ってもらうことを前提としていたため、パフォーマンス云々よりも見やすさを優先していたんですよね。

こんなゲームともいえないものをアップしたからといって楽しんでくれる人など師匠くらいしかいないわけですが、ソースコードも添付してご自由にお使いください、とすることでプログラマーの需要が多くありました。オープンソースなどという言葉も一般に浸透する前の時代です。

ワイヤーフレームのソースコード ワイヤーフレームのソースコード

プログラム中は神の視点(上からの見下ろし)で考えるわけですが、3D風に見えるといっても実際にはブロック単位で判断していて、キャラクターが見ている方向、そこから2歩先までにある6個のブロック+自分の左右にある2個の計8個のブロックが壁か道かを判断しているに過ぎません。

このあたり、ゲームの作り方♪みたいな参考書があるわけでもなく、既製品のゲームを眺めては、こんな作り方してるんじゃないのかな、と自分の頭の中で組み立てていくのがとても楽しかった覚えがあります。

こんなただの自分語りですが、小さなゲーム開発会社の社長は熱心に目をキラキラさせながら話を聞いてくれました。

採用決定!………………だが

ワイヤーフレームのダンジョンの開発に苦労した点、工夫した点などを思う存分話した後、社長はおもむろにゲーム機を取り出しました。ファミコンです。

しかし、そこにはぼくの全く知らない機材が取り付けられており、ファミコンのカセット部分からケーブルが伸びて、パソコンにつながっているのです。いわゆる開発機っていうヤツですね。

これには興奮しました。

ぼくが小学生の頃プレイしていたゲームがこんなふうに作られていたのか!と。しかも、けっこう有名な2D横スクロールのアクションゲームです。

社長はそのゲーム画面を見せて「ここで炎が2つ発生してるけれど、この処理はどうやっているか予想できる?」と尋ねます。

ぼくは「ファミコンのプログラムはわかりませんが、MS-DOSと同じように考えて良いなら割り込み処理が必須だと感じました。私が実装するなら炎の発生順を待ち行列に持ち、V-SYNC割り込み発生時に順番に処理することで疑似マルチタスクを実現します」とオタク特有の早口で答えます。

「採用。明日から来てくれても構わないくらい。」

社長は目をキラキラさせて満面の笑みで、ぼくもとても嬉しくなりました。そして、こう答えます。

「すみません。すごく嬉しいのですが面接がまだ残っているので少し返事を待って頂けないでしょうか?」

ボロアパートと寝袋完備

…ここまであえて描写をしておりませんでしたが、そのゲーム開発会社は広さはあるもののかなりボロい木造アパートの一室で、PCと寝袋がずらぁ~~~っと並んでいるような会社だったんです。

わりとショッキングでした。

前職が小ぎれいなオフィスだったからというのもありますが、同じプログラマーでも業務系とゲーム系ではここまで環境が違うものなのか、と。小さい会社とはいえ、ぼくも知っているような有名ゲームを開発している会社がこんな開発環境なのか、と。

たしか時給も1000円~くらいだったかと思います。まぁ当時はコンビニのバイトが時給700円~だったと思うので、学歴なしで業歴半年しかない自分としては贅沢は言えないのですが…………不衛生な環境、泊まり込み前提、時給も普通、となると、よっぽどゲーム開発が好きでないと続けられない気がしました。

今回は求人情報誌で2社面接を申し込んでいたので、もう1社の面接が終わった後にあらためて判断したいと思いました。

もちろんそんな都合の良い話が通じるとは限らないので、じゃあやっぱ不採用!と言われても構わないつもりでお願いしました。すると、

「よしわかった!そりゃいろいろ考えたいよね。そのもうひとつのトコの面接結果が出てから返答をくれればいいよ!」

胸中は穏やかではないでしょうに、ワッハッハと豪快に笑ってくれる社長を見て心苦しくなりましたが、”良い人”というだけなら前職の社長もだいぶ良い人でしたし、それだけで見えている地雷を踏みぬく覚悟は出来ませんでした。

ただ、次の面接先にも正直なところあまり期待していません。なんと驚いたことに求人条件が「学歴不問」「初心者歓迎」「時給1500円~」「勤務地:新宿」なのです。

バブル崩壊直後の就職氷河期にこんな条件ありえない。

なにか罠があるのではないか…いやあるに決まっている。問題はどんな罠か、ということだ、と不安に感じながら、新しい面接先へと向かうのでした。

つづく

…………………………………かなぁ?

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